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浦和地方裁判所 昭和59年(人)5号 判決 1984年9月26日

請求者 平田美子

拘束者 平田俊治

被拘束者 平田麻紀

主文

被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。

手続費用は拘束者の負担とする。

事実

一  本件請求の趣旨および理由は別紙甲記載のとおりであり、これに対する拘束者の答弁は別紙乙記載のとおりである。

被拘束者代理人は別紙丙記載のとおり意見を述べた。

二  疎明<省略>

理由

一  請求者平田美子と拘束者平田俊治が昭和四七年一一月六日婚姻の届出をした夫婦であり、その間に長女である被拘束者平田麻紀が昭和四八年六月二〇日に出生したこと、被拘束者が請求者肩書場所を住所とし、新座市立○○小学校五年に在学中のところ、拘束者が昭和五九年八月二五日茨城県下妻市○町××××番地の大山善次方(請求者の実家)に滞在していた被拘束者を連れ出し、現に千葉県館山市○○××××番地の平田義治(拘束者の兄、被拘束者の伯父)方において被拘束者を監護・養育していることは、当事者間に争いがない。

二  右争いない事実にいずれも成立に争いのない疏甲第一号証、第三号証の一ないし二〇、第四号証、第五号証、一、二、第六号証の一ないし三、第一五、第一六号証及び疏乙第一号証、いずれも請求者本人尋問の結果により真正に作成されたものと認められる疏甲第七、第一三、第一七号証、証人大山善之の証言により真正に作成されたものと認められる疏甲第八号証、拘束者本人尋問の結果により真正に作成されたものと認められる疏乙第二号証、証人平田義治の証言により真正に作成されたものと認められる疏乙第三号証、弁論の全趣旨により真正に作成されたものと認められる疏甲第九ないし第一一、第一四号証、証人大山善之、同平田義治(一部)の各証言、請求者、拘束者(一部)各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると次の各事実を認めることができ、左記認定に反する拘束者及び証人平田義治の各供述部分は措信しえず、他にこの認定を左右するに足る疎明はない(以下、関係者の表示は当事者とも主として名のみによる。)

1  麻紀は、前記のとおり昭和四八年六月二〇日に生まれた満一一歳の児童(小学校五学年生)であつて、同五一年五月俊治、美子と共に請求者美子の肩書場所に転居して以来、同所において俊治、美子両名による監護・養育の下に生活してきたものであり、後に詳述するように俊治、美子が別居した後は、同所において美子による監護・養育の下に生活していたものである。また、麻紀は、同五五年四月新座市立○○小学校に入学し、後記のとおり館山市立の小学校へ転校するまで右○○小学校に在学していたが(但し、美子が同五六年九月交通事故により負傷し、入院した際、美子の茨城県下妻市の実家に預けられ、その間四か月位、茨城県下の小学校に通学していたことがある。)、これまで心身共健全な発達を遂げ、学校での成績も良好で従前在学していた○○小学校では、クラスのリーダー的存在であり、家庭生活においても他人に対する思いやりの気持が強く、両親の言動も比較的冷静に観察している。

2  美子(昭和二六年六月一一日生)は、昭和四五年四月短期大学に入学して茨城県から上京し、一方、俊治(昭和二二年六月一四日生)は、大学卒業後、一時株式会社○○観光に勤務して後、同四七年四月ころ○○○○カントリークラブに入社し、ゴルフ会員権の売買に従事するようになつた。俊治と美子は、同年三月ころ知り合つて交際をはじめ、美子の両親の反対を押し切つて、同年九月ころから東京都新宿区内で結婚を前提に同棲生活を始め、同年一一月六日婚姻届を了した。

3  俊治は、美子が妊娠中の翌四八年二月○○○○カントリークラブを退職し、友人らと共に株式会社○○○○○企画を設立したものの、仕事は順調に行かず、収入が途絶えがちになつた。

こうした状況下で、美子は、同年六月二〇日麻紀を出産したが、俊治、美子の生活は次第に困窮していつた。

4  昭和四八年末には俊治の仕事はいよいよ行き詰まり、廃業の己むなきに至つた。その後俊治は同種の営業を目的とする会社を転々とするようになり、美子に何らの相談もなく、勤務先を変えることもあつた。また、このころ俊治は、帰宅時間が深夜となることが多く、ときには帰宅しない日もあり、日曜日も接待ゴルフ等の為に外出した。美子は、麻紀と二人で家庭を守つてきたが、寂しさを紛らすため、次第に飲酒することが多くなつていつた。

5  俊治は、昭和五二、三年ころから、不安定な収入をいわゆるサラ金業者等からの借金で補うようになつたが、昭和五四年ころからは、これら業者が電話で貸金の返済を督促してきたり、取り立てに訪れるようになつた。こうしたことから、美子は生活に不安を感じ始め、俊治一人の収入に頼らず、麻紀の為にいくらかでも預金をしておこうと考えて、宛名書き等の内職に従事するようになり、さらに麻紀が小学校に入学した後は、埼玉県和光市内のレストランにパート勤め(午前一〇時三〇分から午後三時まで)をするようになつた。ところが、美子がパート収入(月額五、六万円)を得るようになると、俊治は、美子に渡す生活費を減額するようになつたため、俊治と美子の間は、金銭問題を契機として次第に円満を欠くようになつていつた。

6  俊治は、昭和五六年ころ、突然ゴルフ関係の仕事をやめ、友人と日本○○という会社を設立し、健康器具等の訪問販売を始めたものの、業績は思わしくなく、以前にも増してサラ金業者等からの借金に依存するようになつたことから、その額が嵩み、右業者らからの支払督促の電話、電報が自宅に相次いだため、この問題をめぐつて夫婦間に喧嘩が絶えなくなつた。

昭和五八年になると、俊治は、月の三分の一くらいは無断外泊をするようになり、美子に勤務先はおろか、連絡先の電話番号すら教えず、また、家計に生活費を入れることも滞りがちになつてきた。一方美子も昭和五八年秋ころから俊治との結婚生活に見切りをつけようと考えるようになつたが、具体的な展望はなく、飲酒に耽ける日が多くなつた。

7  美子は、昭和五八年一二月ころから、東京都練馬区内の○○○○○○○○センターにパート勤めを始めたが、同五九年一月ころ、同センターの車輌課長をしていた滝某(五一歳くらい)と知り合つた。滝は、妻子ある身であつたが、親身に美子の家庭内の悩み事について相談に乗つてやり、生活費にも事欠いていた美子に金員を貸し与えるなどした。美子は、自分に好意を示してくれる滝に愛情を抱くようになり、俊治と離婚する決意を固め、滝との結婚を真剣に考えるに至つた。

8  美子は、昭和五九年春ころから、しばしば俊治に対して離婚の意向を口にし、俊治と別れて滝と結婚し、麻紀と三人で生活したいという希望を明示するに至つた。また、このころから美子は帰宅時間が遅くなり(無断で外泊することもあつた。)、俊治と顔を合わせると、離婚後の麻紀の親権・監護の在り方をめぐつて口論する日が続いた。そして美子と俊治は、同五九年五月ころ、話し合いの結果、麻紀の親権者を俊治、監護権者を美子と定め(但し、美子が監護に不適任となつた場合は、俊治においていつでも引き取る旨の留保付)で離婚することを合意した。

その後俊治は昭和五九年六月ころから、勤務先に寝泊りして殆んど帰宅せず、美子に生活費も一切渡さなくなり、更に同五九年七月一二日ころには、美子の勤務先を訪れ、美子の同僚である中江民子に対し、「美子と麻紀を残して、一人で出ていくので、二人がいろいろ困ることが出てくると思うが、その時はよろしく頼む。」と言い残し、勤務先の電話番号のみを知らせて帰つていつた。こうして、以後、美子・俊治夫婦は、別居状態に移つていつた。その後、美子・俊治いずれの側にも、別居以前の状態に復帰する意思及び努力は認められない。

9  俊治は昭和五九年七月二七日から、夏期体暇中の麻紀を連れて館山市の義治方へ遊びに行き(麻紀を海で遊ばせるため、例年同所を訪れている。)、八月一日、麻紀を美子の実家である下妻市の大山善次方まで送つていつた。麻紀は、前同日から善次方に滞在して休暇を過していたところ、俊治は、八月二五日に再び善次方を訪れ、同月二七日には麻紀を送り届けると約束した上麻紀を再び義治方に連れて行つた。なお、八月二九日には、美子が麻紀を善次方に迎えに来る予定であつた。

ところが、麻紀を館山に連れ戻した俊治は、八月二六日母(平田真佐枝)、兄夫婦(義治、高子)、伯父夫婦(平田正治郎、久里子)の親族らを前にして、美子との離婚問題を切り出し、かつ、美子には親しい男性がおり、俊治と離婚後は、その男性と麻紀の三人で暮したい意向を有していると告げ、この問題についての善処方を相談した。これを受けて、右親族らは、俊治を交えて、前同日と翌二七日の二日にわたり、急拠協議を行つた結果、難しい時期にさしかかりつつある麻紀の養育を父親以外の男性と美子に委ねることは適当ではなく、一方、俊治自身も、麻紀の世話をしながら仕事をするのは無理な状況にあることから、当面俊治の兄である義治とその妻高子の下で麻紀を監護・養育するのが最良であるとの結論に達し、麻紀にもその旨言い聞かせた。

10  俊治は、昭和五九年八月二八日、独りで善次方を訪れ、美子の両親(大山善次、清子)に対し、麻紀を義治方に引き取り、義治夫婦が養育することと決めた旨伝えた。

他方、美子は、八月二七日になつても麻紀が善次方に戻らないため、友人に教えられた俊治の勤務先や義治方へ電話をかけ、二学期が始まるまでに麻紀を美子の下に戻してくれるように交渉したが、俊治らは言葉を濁すだけで取り合わず、美子が麻紀と直接電話で話すこともそれとなく拒否した。

11  麻紀は、このようにして現在義治方で監護・養育されており、在学関係も以前○○市教育委員会に勤務していたことのある義治の取り計いにより転校手続を済ませ、昭和五九年九月一日から館山市の小学校へ通学している。

12  美子は、前記のとおり、昭和五九年春ころには滝との結婚を真剣に考えていたが、その後、滝が次第に美子から離れていく態度を示すようになつたことから、滝が美子に対して示していたのは、単なる同情心にすぎなかつたと悟り、現在ではもはや滝との結婚を断念し、独力でも麻紀を監護・養育していきたいと熱望しており、また、そうすることが麻紀の成育にも最良であると信じている。もつとも、美子は、昭和五九年八月に従前の勤め先を退職し、現在は無職であるけれども、将来会計事務の仕事に従事することを考えて、同年七月初旬ころから簿記の通信教育を受講するなど自活に向つての意欲を持しており、他方、下妻市内で書店を経営している美子の実家も美子及び麻紀に対し、物心両面での援助を約束している。また、美子は、健康を害した(十二指腸かいよう罹患)こともあつて、昭和五九年八月中旬ころから飲酒を慎しむようになつている。

13  一方、俊治は、都内の会社に勤務しており、同五九年六月ころからは、勤務先の事務所に起居しているため、自らは麻紀を手元において監護・養育することは能わず、これを義治夫婦に委ねざるをえない実情にあり、僅かに、週末に義治方を訪れて麻紀と顔を合わせているにすぎない(なお、俊治は、現在の仕事が完了次第、館山に戻つて職を探し、麻紀と二人で生活したいとの意向を有している旨供述するけれども、そのための具体策を現に持ち合わせているわけではない。)。また、俊治は、現在でも複数のサラ金業者に対する借金の返済に追われており、その一部は義治等の援助を得て返済する計画であるが、完済の目途は立つていない。

三  以上の争いのない事実及び疎明された事実に基づいて、次のとおり判断する。

1  麻紀は、二1末尾の事実を推すと、年齢一一歳の児童としては平均以上の知能、判断能力を有していることが窺われる。しかしながら、現在の麻紀は、俊治と美子の間の離婚関係が破綻し、麻紀の監護の在り方をめぐつて両親及びそれぞれの親族の意見が真向から対立している状況下に、美子の意思を無視した俊治の一方的意思に基づいて、伯父である義治夫婦の手元で監護・養育されているのであつて、かかる状況の下においては、たとえ麻紀がその年齢者の平均を上廻る知能、判断能力を有するとしても、俊治、美子のいずれの監護養育を受けることが自己にとつて幸福であるかという、微妙かつ不確定要素の多い問題について、その自由な意思を形成し、これを表明するに十分な意思能力を有しているとはみなし難い。のみならず、仮に麻紀がその自由意思に基づいて、従前居住していた美子の下に戻ることないしは従前在学していた○○小学校に復学することを望んでいるとしても、その年齢及び前示のような現在の境遇に鑑みれば、その希望を独力で実現するには、経済的、心理的ないし物理的制約が存することは容易に推認できるところである。そうとすると、俊治の意思に基づく義治の下での麻紀の監護・養育は、それ自体監護方法の当不当、又はそれが愛情に基づくかどうかとは係りなく、人身保護法及び同規則にいう拘束に該当すると解すべきである。

2  ところで、俊治及び美子は、現在においても法律上の夫婦ではあるけれども、既に離婚の合意をして別居し、両者の間には夫婦共同生活の実体が全く存在せず、事実上の離婚状態にあるというべきである。このような事実上の離婚状態にどのような法律効果を認むべきかは一の問題たるを失わないが、少なくとも、本来共同親権の行使としてなさるべき子の監護を含む夫婦当事者間の関係については、概ね離婚と同様の効果を是認すべきものと解するのが相当であるところ、本件においては、俊治と美子の間に昭和五九年五月ころ離婚の合意が成立し、その際、麻紀の親権者を俊治、監護権者を美子と定めることが併せて合意され(但し、美子が監護に不適任なときは俊治に麻紀を引き渡す旨の留保付)、その後俊治が美子及び麻紀と別居し、生活費も渡さなくなつたことによつて、事実上の離婚状態が形成されるに至つたというべきであるから、俊治と美子との関係においては、美子が新座市の自宅において、概ね従前と同一の状態で麻紀を監護するかぎり、右合意に基づいて美子が麻紀の単独監護権を有し、俊治はこれを有しないものというべきである。そして、法律上監護権を有しない者が児童をその監護の下においてこれを拘束している場合に、監護権を有する者が人身保護法に基づいて児童の引渡を請求するときは、両者の監護状態の実質的な当否を比較考察し、児童の幸福に適するか否かの観点から、監護権者の監護のもとに置くことが著しく不当なものと認められないかぎり、非監護権者の拘束は権限なしにされていることが顕著であると認めて、監護権者の請求を認容すべきものと解するのが相当である。この理は、事実上の離婚状態にある父母のうち、両者の合意により監護権者と定められた一方が監護権を有しない他方に対して子の引渡を請求する場合においても妥当するものであつて、拘束者が法律形式上親権、監護権を有するとの外観が存し、かつ、子の実親として養育することの一事をもつて、その拘束を正当とすることができるものではないというべきである。

3  そこで、以下に本件において、麻紀を美子の監護のもとにおくことが、著しく不当なものと認めうるか否かについて検討する。俊治は、麻紀を美子から引き離し、義治夫婦の下での監護を依頼するに至つた理由について、美子が不貞な関係にある滝と麻紀共々同居することになると、思春期にさしかかろうとしている多感な麻紀の成育に著しい悪影響を与える虞れがあることと酒好きの美子が深夜麻紀を放置して飲酒に出歩くという無責任な行動をとつたことから麻紀の行末を憂慮したためである旨主張する。しかしながら、美子は、前記俊治との離婚及び麻紀の監護に関する合意の成立後俊治が麻紀を義治夫婦の下で監護・養育するようになるまでの間、(麻紀が夏期休暇に入つた後義治方及び大山善次方に預けた期間を別にすれば)新座市の自宅において麻紀と二人で生活を営み、大過なくその監護・養育を継続してきたものであり、俊治が憂慮する滝との同居についても、一時はそれを真剣に考慮はしたことはあつたが、現在では全くその意思を失つており、当面滝が美子の家庭に入つてくる可能性はないことが窺われるのである。また、俊治が指摘する飲酒の点についても、美子は現在健康上の理由もあつて節制に努めており、今後麻紀一人を放置して飲酒に耽ける虞れはないものと思料される。そうすると、美子を麻紀の監護権者と定めた前提条件には、現在何ら変更はないというべきであつて、俊治の前記主張は、美子の麻紀に対する監護権の行使を不当ならしめる根拠とはなし難い。

加えて、前記二12、13で認定した美子、俊治双方の事情を比較考量するときは、麻紀を美子の監護のもとにおくことが麻紀の幸福に適さず、著しく不当であるとは認め難く、かえつて俊治は、当面自ら麻紀を監護することが困難であり、義治夫婦をはじめとする親族の助力に頼らざるを得ない事情に鑑みれば、たとえ女手一つの家庭での経済的困難が予測されるとしても、麻紀を母親たる美子の庇護の下に置くことがより望ましいというべきである。

四  結論

以上から、被拘束者麻紀は、拘束者俊治による不当違法な拘束状態のもとにあつて、かつ、それが、顕著な場合に該ると解することが相当であるから、本件請求は理由があり、前示事情からすると被拘束者は請求者美子において即時監護させるのを相当とする。

よつて、人身保護法一六条三項、人身保護規則三七条によつて被拘束者を直ちに釈放し、請求者に引渡すこととし、手続費用の負担につき同法一七条、同規則四六条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高山晨 裁判官 小池信行 深見玲子)

別紙甲

請求の趣旨

被拘束者平田麻紀のため、拘束者に対し人身保護命令を発布し、被拘束者を釈放し、請求者に引き渡す。

手続費用は拘束者の負担とする。

との裁判を求める。

請求の理由

一 請求者と拘束者は、昭和四七年一一月六日婚姻の届出を了した夫婦であり、被拘束者平田麻紀(昭和四八年六月二〇日生)は、請求者と拘束者との間に生まれた長女である。

二 請求者と拘束者は、昭和五九年五月ころまでは請求者の肩書住所地において共同して被拘束者を監護養育してきたが、拘束者は同年六月ころから後記の如く帰宅しなくなり被拘束者の監護養育を放棄した状態となつた。拘束者は請求者と結婚以来、様々な職業を転々として一定せず今日まで過ごしてきた。(請求者は現在では拘束者がどこの何という会社で働いているのか知らない有様である。)当然収入も安定せず、拘束者は昭和五四年ころからサラ金から借金をする様になり、サラ金からの請求に追いかけられる生活となつた。それでも請求者は内職・パート勤めなどの努力を重ね何とかその日暮らしの生活を送つてきた。しかし昭和五八年に入ると電話恐怖症になる程サラ金の取り立てはきびしく、又訪問を受けた。拘束者は当然家に居ることのできない状況であつた。拘束者は同五九年六月からは生活費も一切請求者に渡さなくなつた。当然拘束者と請求者の生活は殺伐としたものになつていつた。以来請求者は自ら働く一方請求者の母親や弟の経済的援助を受けながら被拘束者と二人で生活をしてきた。拘束者は時々帰つてきてはいたが、請求者とは言い争うだけの間柄となつていた。昭和五九年六月上旬に拘束者と請求者は離婚の合意が成立した。その際被拘束者の養育監護は請求者が行うとの合意も出来た。

三 ところで請求者は毎日の生活にもこと欠く有様であつたので、必死でパート勤めをやつていたが、その勤務先で上司の滝という人と知り合い、精神的にも追いつめられていた請求者が父親のように頼り、相談にのつてもらつていたところ、拘束者はこれを知るや、自己の無責任放縦な生活を棚に上げて、請求者を非難し、このために一緒に暮らすことはできないと告げて一方的に請求者肩書地から去つていつた。そして、その直後の昭和五九年七月一二日拘束者は請求者のパートの勤務先である○○○○○○○○センターに請求者の友人で顔見知りの中江民子を訪ね、同人に対し、「美子(請求者)と麻紀(被拘束者)を残して自分が出ていくので二人がいろいろ困ることが出てくると思うがその時はよろしく頼む」といつて、拘束者の勤務先の電話番号だけを教えて帰つていつた。

四 被拘束者は埼玉県新座市立○○小学校五年に在学している。同校は昭和五九年七月二一日夏休みに入つた。被拘束者は同月二四日から二六日まで林間学校に行つて帰宅した。翌二七日拘束者は請求者方にきて、拘束者の兄である平田義冶方に三日の予定で遊びに連れていくといつて被拘束者を連れ出した。この時拘束者は被拘束者をその後請求者の実家(茨城県下妻市○町××××番地)大山善之方に連れて行き引き渡すことを約していた。

同年八月一日拘束者は被拘束者を請求者の実家へ連れて行つた。請求者は被拘束者が実家に連れて来られたことを知つて同月一二日に請求者の実家に到着し、同月一八日まで同所に滞在し、同月二九日には被拘束者を迎えに来ることを約して住所地である新座市に帰宅した。

五 昭和五九年八月二五日拘束者は突然請求者の実家である大山善之方に来所し、同月二七日には連れ戻すと約束して被拘束者を連れ出し、前記平田義治方に連れて行つた。そして同月二八日拘束者は一人で右大山善之方に来所し「子供(被拘束者)は自分が兄の方でめんどうをみさせる。逢いたいときにはいつでもあわせる。」と述べた。事態の重大な変化に右大山善之は直ちに請求者に電話で右事情を連絡してきたので、請求者は前記平田義治方に架電してみると、拘束者の母親平田真佐枝がでて、被拘束者の呼び出しを拒否した。そこで請求者は右大山善之に右事情を述べ請求者が被拘束者と話さえできなくなつた状況を拘束者に質してもらつたが、拘束者は何も答えず帰つていつた。以後請求者は前記平田義治方に同月二九日から数回に亘り架電して被拘束者との話ができる様依頼したが、いずれも拒否されている。

六 被拘束者は昭和五九年八月三一日請求者の兄大山善之に電話をかけてきたが、何も言えず悲しみをこらえて救いを求める状況であつた。同日夜拘束者から右大山善之がきくところによると、転校手続は済ませたという強引なものであつた。被拘束者は拘束者の勝手な力によつて、新座市立○○小学校の教員、級友および近隣の友達になんら言葉を告げることなく、衣類、勉強道具、遊び道具、お気に入りの小物等一切と切り離されて生活させられている状態である。また拘束者は都内のどこかに居住し、土日の二日だけ義治方に来るという生活を送つている模様である。被拘束者は現在家族というものと離れいわば一人で義治方に同居して寂しい生活を送つていると言える。

七 被拘束者は請求者の下で母子二人経済的には大変であつても快活に生活をなしてきたが、拘束者の下では毎日拘束者の兄の家族に一人で同居をさせてもらつているという状態であり、請求者の知り得た事情によると急激に暗い陰鬱な性格に変わりつつあるといえる。請求者は弟大山善之の経済的な援助と自己の働きによつてなんとか経済的には自立できる状況である。被拘束者は未だ小学五年生の女の子であり、多感な年頃を母親の庇護の下十分な愛情をそそいでやらなければ素直な成長を望むことは難しいという事実は明白である。

八 以上の事実によれば、拘束者は請求者との監護養育に関する合意により被拘束者の監護権者となつた請求者の意思に反して、被拘束者を違法に拘束しているものというべきである。

九 なお請求者は拘束者を相手方として、離婚および被拘束者の親権者を請求者に指定することを求める訴を提起すべく準備中であるが、拘束者の態度からみて、これらの手続によつては、相当の期間内に被拘束者の救済の目的を達することが出来ないことは明白である。

一〇 よつて請求者は人身保護法第二条及び人身保護規則第四条に基づき、被拘束者の救済のためこの請求をするものである。

別紙乙

拘束者代理人の答弁

第一、請求の趣旨に対する答弁

一 請求者の請求を棄却する。

二、手続費用は請求者の負担とする。

との裁判を求める。

第二、請求の理由に対する答弁

一 請求の理由一項は認める。

二、同二項中、拘束者は被拘束者の監護養育を放棄した状態となつたとの点、昭和五八年六月からは生活費を一切渡さなくなつたとの点、拘束者と請求者間で離婚の合意及び被拘束者の養育監護を請求者が行うとの合意が、成立したとの点は否認する。

拘束者は、請求者に対し、生活費は、昭和五九年五月までは月額二〇万円宛渡していた。

三、同三項について、請求者は「上司の滝」との関係について「父親のように頼り相談にのつてもらつていた」と主張するが、請求者は滝と肉体関係をもち不貞を働いていたもので、昭和五九年三月頃には社内でも両名の交際態度が目に余るほどで問題となつていた。拘束者は、昭和五九年五月頃より請求者がたびたび外泊をするようになつたため、これを注意したところ、拘束者の顔を見るのがいやで外泊するのだとうそぶき、自分の行状を棚に上げて、子供である麻紀の前でも公然と拘束者をなじることが重つたため、拘束者は、子供にいやな場面をみせたくないとの子供に対する配慮から昭和五九年七月初めより自己の経営する会社の事務室に寝泊りするようになつたもので、拘束者が一方的に住居より去つて行つたものではない。

四、同四項はほぼ認める。

五、同五項はほぼ認めるが、請求者からの電話については、請求者の態度が異常な興奮状態にあるため、冷静な状態のときに取り次ぐとしただけで、全面的に拒否したものではない。

六、同六項は否認。

被拘束者が大山方に電話したのは、勉強道具その他大山方に置いてある身の回りの品物を届けてくれるよう依頼するためのものであり、「救いを求める」というような状況のものではない。

被拘束者は大山方にある前記品物が届けられないため多少不自由な思いをしたが、現在、拘束者の実兄である平田義治方で同人夫婦及び同人の子供らに暖かく迎えられ、毎日を明るく、楽しく嬉々として過している状況である。

七、同七項について

請求者は、「母親の庇護の下、十分な愛情……」と主張するが、請求者は酒好きで、従前からも被拘束者を放置したまま深夜まで酒を飲み歩くこともしばしばで、請求者の行状は被拘束者に対しむしろ悪影響を与えることとなる。

八、八項ないし一〇項は争う。

第三、拘束者の主張

一、平田麻紀を引き取つた経緯と理由

(一) 請求者は、本年三月頃から拘束者に対し、サラ金業者から再三督促電話がかかつてくることを理由に、家を出ていつてくれと要求するようになつた(後日判明したことであるが、サラ金は口実で、真実は請求者が滝某と公然と交際するための環境作りが目的であつた)。拘束者は、この要求を拒否していたところ、本年五月頃から請求者は度々外泊するようになり、拘束者が請求者に対し外泊しないよう注意したところ請求者は逆に離婚届に印を押してほしいなどと言い出した。拘束者は、その頃深夜たびたび男の声で電話がかかつてくることに不審を感じていたので、その際男との交際について問いつめたところ、請求者の勤務先の上司である滝某との交際を認め、滝某と一緒になりたいなどと言い出すに至つた。

また、請求者が外泊する理由として、拘束者の顔を見たくないから外泊するのだ、家を出て欲しいなどと、子供の目の前もはばからず拘束者をののしることが度重なるため、拘束者は、子供への配慮から一時家を出ることを決意し、本年七月初め自己の経営する会社の事務室で寝泊りするようになつた。

(二) ところで、請求者は、拘束者が会社で寝泊りするようになつてからは、前記滝某と同棲してゆくことを考えたためか本年八月には滝と麻紀を引き合わせたりするようになつた。

拘束者は、請求者との離婚はやむをえないと考えてはいたが、現在小学校五年生という思春期にさしかかろうとする多感な少女の麻紀が請求者の不貞の相手である滝某と同居していくことは、極めて麻紀に対し悪影響を与える結果になろうと考え、また、請求者自らも酒好きで、麻紀を放置したまま深夜酒を飲みに出かけてしまうという無責任な態度を憂い、拘束者側で麻紀を引き取ることがより麻紀のために幸せであろうと考え、麻紀を引き取ることを決意した。

ただ、現状では、拘束者自身は自己の仕事もあり、麻紀を十分監護していくことは困難であると考え、麻紀が度々遊びにいきなついている拘束者の母親及び実兄平田義治夫婦に預けることとし、本年八月二五日請求者の兄大山善之方に預けられていた麻紀を引き取り、千葉県館山市○○××××番地平田義治方へ連れていつた際右の件を相談したところ義治夫婦も喜んで麻紀を受け入れてくれることになつた。

(三) 麻紀は、九月一日から館山市立○○小学校へ右同所から通学しているが、通学初日から、十数人の友達が出来たと、喜んで通学しており、また家庭でも明るく楽しく過している状態である。

(四) 拘束者は、位事及び生活の不安定さが本件のような事態をひき起させた一つの要件であることも反省し、借財は親、兄弟達の援助も得、全て返済した上で、安定した基盤を作りあげ、近い将来、麻紀と共に過せる環境作りをすべく努力している。

因みに、現在、サラ金業者一〇社より約一二〇万円、信販会社二社より約六〇万円、合計約一八〇万円の債務を負つているが、前述したように、近日中に親、兄弟の援助を得、完済する予定である。

別紙丙

被拘束者代理人の意見

第一法律上正当な手続による自由の拘束か否か

一 監護権について

本件においては、被拘束者と請求者及び拘束者は親子関係にあり請求者と拘束者はいまだ婚姻関係にあるのでいずれも被拘束者の親権者である。

また、拘束者は、昭和五九年七月一〇日前後から請求者と別居しているが、その際には拘束者が被拘束者を自分でひきとることなしに請求者にその監護を委せたままにしており、その後、同年八月一日に一度は、被拘束者を拘束者の実家に連れて行つた(但しこれは被拘束者を館山に遊びに連れて行つたものである。)ものの同年八月一二日には事前の約束通り請求者の実家に拘束者を連れ戻しており、拘束者も以上の状況からすれば請求者が被拘束者の監護を行なうことを暗黙のうちに了解していたものと考えられる(もつとも、離婚後の監護権者を請求者、拘束者のいずれにするかということまで決定していたか否かは不明であるが、少なくとも同年八月二五日に拘束者が被拘束者を館山に再度連れて行つた段階においては請求者に監護権があつたと考えられる。)。

二 拘束者が被拘束者を拘束するに至つた状況

本件において、拘束者が被拘束者を引きとつたのは、請求者が被拘束者に対し請求者の上司である滝某と一緒に暮したいと被拘束者に話している旨被拘束者から聞き、そのような状況になれば被拘束者にとつては好ましい状況ではないと判断したためであり、これ自体は、必ずしも理由のないことではないと考える(ちなみに被拘束者も滝某と一緒に暮したくない旨述べている)が、そうであるとしても、前述したように少なくとも、その時までは被拘束者の監護を請求者に委せていた状況にあつたのであるから、話合いを行ない事実等を十分確認したうえで請求者の了解を得、また被拘束者に転校のための準備を十分させたうえで引取るべきであつたのに、このような手続を全く採ることなしに、突然被拘束者を自己の支配下においてしまつたということは違法と言わざるを得ないと考える。

三 被拘束者の意思

本件における被拘束者は、未成年者であるが、すでに小学校五年生であり、ある程度の判断能力はあると思慮されるので当然被拘束者の意思も十分尊重されるべきであると考える。

ところで、被拘束者は、誰の監護を受けたいかという点については、はつきりした意思表示は行なつていないが、ただ通学したい学校という点では、請求者側の新座市立○○小学校のほうが良いと述べておりこの点も本件の判断においては重要な資料であると考える。

もつとも、請求者の請求が認容されるとしても、被拘束者としては、前述の滝某と被拘束者が同居すること、および請求者が飲酒することを嫌つていることからすれば、当然、右二点が行なわれないことが絶対の条件になるものと考える。

四 その他環境等について

以上のことからすれば、右三で述べた条件が履行され、また、他に請求者が被拘束者を監護するに際し特別不都合な事情がない以上は、請求者の請求は認容されるべきであると思慮するが、請求者本人尋問によれば前述三で述べた右二点の条件については履行するという趣旨のことを述べており、また生活費の点についても請求者のパート収入と請求者の実家からの援助によりまかなえる状況であり、またサラ金からの督促(-電話などによる-)についても拘束者側でできるだけ早急に解決するということなので請求者に監護させることについて特別不都合な状況にはないといえる。

第二結論

以上のとおりであり、また、現在まで、ほとんど請求者が被拘束者を監護してきたことなども併せ考えると、被拘束者代理人としては請求者の請求が認容されるのが被拘束者にとつてもより良い結果を生むのではないかと思慮するものである。もつとも、請求者の請求が認容されたとしても被拘束者が父親である拘束者に会いたい、若しくは話しをしたいという場合には、請求者が被拘束者を監護するうえにおいて支障を来たさない限り、これを妨害しないようにしなければならないと考える。

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